Castle in Kyusyu
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門司城
門司城
門司城は、最初 平知盛が源氏との合戦にそなえて、長門国 紀井通資に築城させた、と言い伝えられている。
 寛元2年(1244年)、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として鎌倉幕府より豊前国代官職に任せられて下向。
 後、門司と筑前国香椎院内などを拝領した。
親房の子孫は地名により門司氏を称し、門司城を本城に領内に足立・吉志・若王子・三角山・金山の五支城を構えて、それぞれ一族が配置された。
 門司氏はその後、およそ350年にわたって北九州の地に続していた。
 その間、南北朝時代には門司氏も両派に分かれ、当城には北朝武家方の吉志系門司左近将監親尚が拠り、一方南朝宮方の伊川系門司若狭守親頼は猿喰城に籠もり、骨肉の争いもあった。
室町時代末になると、門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内氏滅亡後はかわって毛利氏が争奪するところとなり、当城はその渦中におかれた。
 ことに大友・毛利両氏による永禄の門司城合戦は壮絶を極め、ちなみに『後太平記』には、「昔、源平両家此処にて軍せしも、時こそ替れ是にはよも勝らし」とその戦況を記している。
 その後の門司城は、城主も入れかわりながら続いたが、細川忠興の豊前入国後の元和元年(1615年)、1国1城の令により、およそ400年におよぶその歴史を閉じた。
北九州市教育委員会
アドレス
北九州市門司区(和布刈公園のPAより徒歩数分)
別名 門司関山城・亀城
築城年 1200年代
築城者 紀井通資
歴代城主 門司氏
城の種類 山城
遺構 石垣・土塁
現在の城跡
壇ノ浦の合戦壁画(表示より抜粋)
 眼下に広がる関門海峡一帯は、日本の歴史の中に華々しく登場し、やがて散っていった平家滅亡の哀史の地としても有名である。
 栄華を極めた平家も5年間におよぶ源氏との戦いで追いつめられ、平家一門の存亡をかけて壇之浦に集結した。
一方、源氏方も精鋭を集め、史上まれに見る大規模な海戦に臨んだのである。
 寿永4年(1185年)3月14日卯の刻(午前6時頃)、早鞆の瀬戸(関門海峡)のうず潮の中で海戦が始まった。
 4千余艘の船が、源氏は白、平家は赤の旗印をなびかせて入り交じった。
当初平家が侵勢と見られたが、源義経の巧妙な戦法が功を奏し、その日16時頃平家の敗北は決定的となった。
おごれる者は久しからず 唯 春の夜の夢のごとし
 この壁画は、うず潮の中で繰り広げられた源平の合戦図である。
赤間神宮(山口県下関市)の社宝、安徳天皇縁起図を参考にして描いたものであり、有田焼の陶板を使用している。
平成2年10月 北九州市
近辺の見所 和布刈公園・門司港レトロ美術館・白野江植物公園・旧門司三井倶楽部・老松公園(電気機関車ED72の展示など)・海峡プラザ(赤煉瓦ガラス美術館・オルゴールミュージアム)・出光美術館・旧門司税関・旧大阪商船・国際友好記念図書館・カボチャドキヤ国立美術館・めかり会館・門司城跡・和布刈神社・淡島神社・西生寺・龍福山玉泉寺・恒見八幡神社・大積天疫神社・世界平和パゴダ・甲宗八幡神社・平山観音院・門司ゴルフ倶楽部・住吉神社・御所神社・大山祇神社・戸上神社・門司関址などがあります。
眺望は非常に良いですが、行った日が小雨だったので、写真には綺麗に写りませんでした。
お勧めの季節
早春 白野江植物公園の梅など
和布刈公園の桜・白野江植物公園の桜・ツツジ・ボタンなど
初夏 白野江植物公園のサルスベリなど
白野江植物公園の紅葉・萩・彼岸花など
門司港レトロ地区イルミネーションなど
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