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中尾城跡 |
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中尾城は天文年間(1532年〜1554年)に長与権之助によって睡飲城と共に築かれた中世の山城である。
眼下の南部には長与川が流れ、北部は東側と西側から狭い谷が入り、丘陵全体が自然の堀によって囲まれた格好になっている。
又、両谷の接点谷頭は切られて「堀切り」になっており、旧長与道が通っている。
丘陵は東側が最も高く西側に傾斜しながら平坦な尾根が伸び、東側の高所部分を近世城郭の「本丸」に相当する「主郭」とすれば、西側に伸びた平坦地を「二ノ郭」とすることができる。
「主郭」は東端部に「土塁」は鍵形に良好な状況で残っている。 |
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長与町教育委員会 |
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アドレス |
西彼杵郡長与町 |
築城年 |
天文年間(1532年〜1554年) |
築城者 |
長与権之助 |
城の種類 |
山城 |
かつての規模
(長与町教育委員会) |
丘陵の高さ |
92m |
比高 |
60m |
城域 |
東西:150m・南北:50m |
遺構 |
主郭・東の郭・西の郭・土塁・段築 |
表示 |
中尾城跡「土塁」(長与町指定文化財) |
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前方の左右に伸びている土の盛り上がりが「土塁」です。
土塁は、城への敵の侵入を防ぐため築かれました。
長崎県内の戦国期城郭の土塁は、緊急時に築城され、防御設備の構造は割合貧弱なものです。
中尾城の土塁では、土を叩き締め幾重にも重ねるという本格的な土塁構造で大変貴重な遺構です。
中尾城の土塁の規模は下幅で約4m、上幅で約1m、高さ2.5mあり、中世城郭の中ではかなり大規模な土塁といえます。
その外側の構造は土塁内部での傾斜面は約2mですが、外部傾斜面は土塁上端から8m程あり、その傾斜は削り落とし的な加工がなされています。
また外部傾斜面での勾配は45度で造られ、土塁頂部への上りを困難にさせています。
土塁の内部構造は、表土を基盤層まで掘り下げ、そこに黄褐色の粘質土を入れ、その上に同じ土質の灰黒色の粘質土が置かれ、上層の土がいくらか砂粒が多い状態になっています。
これはこの灰褐色土が叩き締められたことと、叩き締めの際に水分、それも塩分が入った水を打ちながら表面を叩き締めていった為に、表土層がその後の永い時間に灰黒色に変質していったと考えられています。 |
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長与町教育委員会 |
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近辺の見所 |
陶芸の館・総合公園・天満宮公園など |
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周辺は「中尾城公園」として綺麗に整備されています。
お勧めの季節:早春:中尾城公園の梅など・春:中尾城公園の桜など |